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センター長のささやき 第10話
第10話 秋篠宮妃殿下にお会いし、公立4病院の対応をご説明しました
妃殿下にご説明
4月26日
・AM8時34分、M2.7、輪島市震度1. AM9時28分、M2.6、珠洲市震度1.PM1時過ぎ、金沢市に向かう。午後3時前に、県立中央病院を過ぎた横の石川県成人病センター、石川県結核予防会に到着しましたが、既に、工藤先生は到着とのこと。2階に案内され、挨拶をしました。県の結核予防会婦人部会長さんも待機していました。理事長と管理部長にも挨拶しましたが、理事長は、元信州大放射線科教授で、金沢大53年卒とのこと。午後4時10分から開始予定も大幅遅れ、午後5時頃に結核予防会の名誉総裁でもあられる秋篠宮妃殿下が到着され、挨拶もそこそこに報告を開始しました。
まず、私から、広報あなみず2月号や3つの新聞社からの災害写真集を差し上げて、市立輪島病院の呼吸器内科専門医や珠洲市総合病院院長および呼吸器疾患看護認定看護師、穴水総合病院院長および外来看護師、宇出津総合病院副院長などから1月1日から4日までの病院状況を聴取した諸点をまとめて、以下のようにご説明しました。
- 発災直後から、各病院に避難民と外傷・骨折患者が押し寄せ、院内ロビーは混乱した(穴水病院では一時800名近くが避難してきた)。どの病院でも医師、看護師、事務職員など自身も被災し、病院に駆けつけることもできない状態であった。穴水病院では1月2日、看護師は4名のみ病院に駆けつけることができて、当直者とともに対応した。珠洲市総合病院では2日に病院にたどり着けた看護師は2名のみであった。
- 3日目からは複数のDMATが病院で活動を開始したので、大いに助けられた。発災直後は外傷、骨折、低体温症が多かったが、その後、感染症が増加した。
- 発災から3日にかけて、断水状態で検査もできず、透析もできず、予備電源下、外科手術もできず、限られた医療スタッフの疲弊もあり、重症入院患者や、重症救急受診者などを、後方の金沢地区医療施設へ搬送した。断水状態は、その後も続いた。
- 呼吸器疾患患者については、電源途絶のため、在宅酸素療法(HOT)者が1月1日夕から、病院に集中した。市立輪島病院では院内の酸素が不足したという誤報もあり、HOT患者を金沢市の医療施設へ転送した。珠洲市総合病院ではHOT患者が多数受診し、宇野酸素会社に酸素濃縮器を設置してもらった。3名HOT患者が入院し、2名は肺炎併発し人工呼吸管理(NPPV)しながら金沢地区の病院に搬送となった。穴水総合病院では外来で酸素吸入を受ける患者が多く出て、HOT患者2名が入院し、他の1名は金沢地区の医療施設へ転院した。
- 発災から10日以上は、道路寸断で地域の避難所に薬剤を届けられない事態が多く発生した。定期処方の薬剤量を減らして内服してもらった。
ご報告まとめ
そして、小括として、
- 高齢者の多い過疎地では、堅牢な建物は、役場、消防署、警察署、学校、病院などに限られる。病院に通院している患者はもとより、疾病に通院していない高齢者も自然と病院施設に避難してくるので、病院は避難者受け入れ機能を普段から保持しておく必要がある。病院職員は避難民受け入れの訓練を受けておらず、押し寄せる救急患者への同時対応で疲労困憊した。
- 特別養護老人・介護老人福祉施設・訪問看護施設も建物被害と電源喪失、断水、そして職員自身の被災も加わり、機能喪失した。入居者が急性期機能を持つ公立4病院に搬送されたので、病院の負担がさらに増加した。今後は、安全な後方の、特別養護老人・介護老人福祉施設へ適宜搬送できる仕組みを工夫する必要がある。
- 電源が途絶したので、家庭で電源を必要とする在宅酸素機器使用者や在宅人工呼吸器使用者は、いやおうなしに、病院に集中した。酸素ボンベやHOT機器を余分に備えておく「酸素センター」としての役割が病院に求められる。
- 広域震災の場合、医療者自身が被災するので、押しよせる新規救急患者に対応すべく、入院中の重症者や救急外来受診の重症者は適宜後方の安全な医療施設へ転院できるよう、普段から、当該医療機関で意思疎通を図る必要がある。
- 広域震災の場合、通信途絶するので、各病院間と市町行政機関とのホットライン法を確立する。
- 道路、上下水道、通信、住宅(再建)などのインフラの復旧・再整備は喫緊の課題であるが、高齢過疎化地区では(安心してふるさとにとどまり続けるためには)病院機能の復旧も急務である。看護師(現時点で65名)・検査技師・事務職等病院職員の離職で各病院は病棟閉鎖を余儀なくされ、さらに、震災前に石川県2大学病院から派遣されていた非常勤医師数も減り、病院機能は3月終わりの時点でも震災前に回復していない。能登北部地区の医療再編は、今後確実におとずれる全国の高齢過疎化地区での医療体制のモデルとなるであろう。
「どうすれば、復旧しますか・」のご質問あり、「若い人たちが帰ってきて、若い人の力がたよりです(思い切った復旧・復興予算と速やか修復な工事がもちろん前提)」とご説明しました。また、「医療の機能回復なくして、故郷に帰りたい人々の不安はなくならない」というご提案に妃殿下は深くうなずかれました。予定時間を延長されて、耳を傾けられました。
次いで、検診センター理事長と管理部長が「能登地区の各病院は検診業務を停止中で、役場も、他自治体職員協力で被災者に対応している段階なので、住民の検診は二の次になっています」とご説明しました。妃殿下からいろいろご質問あり、小松空港からのお帰りの時間が迫っており、お付きの宮内庁職員3人が少し慌てる模様ありました。お見送りした後、新聞社などマスコミから種々質問がありました。が、以外に思ったのは、妃殿下の心労状態に関しての質問でした。インタビューカメラ撮影もあるも、後刻、取り上げたマスメデイアは、主として金沢大への御訪問と学生さんなどとのやりとりや1.5次避難所訪問などであり、新聞記事では予防会訪問はつけたしの感じがしました。
午後6時30分過ぎに駅前の寿司割烹高崎屋で工藤先生と藤木氏と3人で会食し白エビ刺身、ゴリのから揚げ、治部煮、寿司、などなど新鮮で美味にて感激しました。会食中、藤木さん(結核予防会理事)の携帯に、妃殿下は無事に小松空港を出発されたと予防会から連絡あり、安堵しました。工藤先生からご自身の著書「肺の音の不思議:歴史と科学から紐解く肺聴診、南江堂2024年4月出版」を頂きました。感謝です。
新居への引っ越し
5月8日
・午後、仮設住宅用の鍵を役場でいただく。
5月14日
・午後2時、病院の事務局長はじめ職員の方6名の協力を得て、仮設住宅へ、被害のあった宿舎の生き残りの冷蔵庫と冷凍庫およびテレビを運び入れました。1DKと学生時代に戻った感じであるが、何よりうれしいのは、膝を曲げて入るような小さいが新しいお風呂に入れることです。
以上、いささか、細かい内容を含むメール内容なども含めて紹介しました。ほぼ毎日、地震が発生していたことも垣間見ることができます。