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センター長のささやき 第8話
第8話 いよいよ診療再開準備です
慢性呼吸器疾患看護認定看護師さんへの期待
3月15日
・午後6時ごろ、公立穴水総合病院事務局長から電話あり、市立輪島病院から、4月以降の呼吸器専門外来を1か月に1度に予定してよいかと問い合わせありとのこと。
3月18日
・午後2時10分、福井大医学部看護学科棟2階の大講義室で、認定看護師さん向け講演を行った。福井大学大学院看護キャリアアップセンターの呼吸器疾患看護認定看護師第13期生終了式後、卒業生向けに「これからの慢性呼吸器疾患看護認定看護師-呼吸器疾患看護認定看護師(CRCN→RCN)に期待すること」というテーマで特別講演を行った。 認定看護師への期待として、「災害時の災害関連死を防ぐ、HOT患者の安全性確保、(誤嚥性)肺炎・急性肺血栓塞栓症などの発生予防、DMAT、JMAT構成メンバーとして活動」(資料9.)などということも強調した。会場は100人以上の参加者であふれ、懐かしい人たちの顔を見ることもできた。
資料9.
講演後、お土産をいただいた。うれしいひとときであった。さらに、上原桂子氏(看護学科教授)から、来年の呼吸ケア・リハ学会北陸集会で能登半島地震の際の医療人の対応をテーマに特別講演をお願いしたいと依頼あり。もう、自分はいいから、適者を紹介しますとお伝えした。市立輪島病院の川﨑先生と珠洲市総合病院慢性呼吸器疾患看護認定看護師の澤村氏である。
*慢性呼吸器疾患看護認定看護師とは、日本看護協会が第20番目に設置した認定看護師制度。2011年度福井大で開設。現在は福井大学1校のみで開講している。立ち上げの際は日本呼吸ケア・リハビリテーション学会と日本呼吸器財団の支援を得た。福井大で受け入れる際は、事務当局の理解が得られず、忘年会場で当時の福田学長に直訴してようやく日の目を見た。
4度目の穴水病院訪問と宿舎の後片付け
3月19日
・午前1時37分、M2.3、震度1穴水町。厚労相は能登4病院の65人の看護師が離職すると発表した。午前10時45分に妻、次男と孫とともに北陸道丸岡インターから高速道路に入り、穴水にむかった。能越道徳田大津インターから穴水インターまでは下り線のみ開通、40km制限。道路は修復されているが、昇り降り、曲がりの連続でまるで、ジェットコ-スターである。午後1時15分ごろに穴水到着。さっそく、室内の割れた食器、ガラスなど拾いあげ、災害廃棄物処理場へ次男達と3時過ぎに持参。午後3時締め切りといわれたが、遠方から来たという事情を話し受け取ってもらった。時間が過ぎても片付け終了せず、妻の次姉夫婦の住む仮設住宅を訪問したあと、長姉の倒壊した家を確認、内部に入り、一部の品物を持ち出した。4時45分頃穴水町から249号線を経由して、徳田大津インターチェンジからのと里山海道に入り金沢方面に向かう。午後7時30分頃に丸岡着。疲労を覚える。
どうなる病院復旧・復興
3月25日
“木田厚瑞先生、
こんにちは、能登北部呼吸器疾患センターの石崎です。ご無沙汰しております。
4月1日から穴水病院勤務再開となります。病院は水道再開通しましたが、下水道修理が追い付かなくて、まだ、簡易トイレ使用状態で、宿舎はぐちゃぐちゃのままです。病院事務長から仮設住宅に住んでもらう手続きをしていると案内ありました。また、珠洲と宇出津病院から今後の呼吸器外来診療の丁寧なことわりの電話がありました。輪島病院からは月1回でどうかと打診ありましたが、輪島病院の川﨑医師が呼吸器専門医と医学博士号取得(金沢医科大呼吸器内科水野先生の指導)しましたので、輪島病院はこちらから断りました。ちょうど、体力、気力も落ちてきていましたので、助かりました。地震が怖くて診療に行かなくなったという理由にはされないだろうと、変に安どしています。これまで、能登北部地区の首長や県庁のメンツもあり、医療体制再編は進まなかったですが、そうは言えない状況となりました。4つの公的病院は基本的な診療レベルを維持する程度にして、能登空港あたりに災害復興資金で小規模高次機能病院+地域医療センター(研修医指導)を建て、ヘリコプター常駐などが一案かと思います。私の、役割も終わりに近づいていると感じています。県庁の木村さんにご連絡の機会があれば「これまで、ありがとう」とお伝えください。”
“石崎 先生
近況をお知らせいただきありがとうございました。こちらに伝えられるニュースでも病院統合案が伝えられており、成り行きを案じていました。
高齢者が分散して住んでいる状況のなかで居住者が満足できる医療体制をどのように構築していくかは定住者促進計画と両立させなければならない難しい問題だと考えています。
過日、木村さんと電話で話す機会がありましたが対策本部長を務めている知事の指示がアンバランスで周辺の職員は疲労困憊のようです。同じ不満は東京都水道局職員が帰京したあとの報告会でも強い不満となっていると都の上層部の人から聞きました。地域を理解した上で将来像を描かなければならないのにその青写真が全くないようで将来の不安を強く感じます。先生には、認定看護師制度の立ち上げ、呼吸ケア指導士制度の立ち上げ、運営など奥能登の医療だけでなく多くのことを実現していただき感謝しています。私が会長のときにはケア・リハ学会の会員数は1,200人でしたが、いまでは制度の整備で4000人を超えていると言われます。これも先生のご努力によるものと感謝しています。
奥能登の医療の整備と地震による崩壊、再建計画までは私たちがいま残しておかなければ消え去ってしまうことを懸念しています。できれば県の情報をも木村さんに出していただいて建設、崩壊、再建までを単行書として書き残すことを考えませんか?
高齢化、過疎化が進む多くの地域での将来に問題を解決していくための大きな指標となると思われます。まず、現段階で可能な資料収集を始めませんか?
木田 厚瑞
医療法人社団 至心医療会
呼吸ケアクリニック東京 臨床呼吸器疾患研究所
理事長”
3月25日
・工藤翔二先生にも同様の報告をしたところその後電話あり。「私も、能登空港の近くに新しい統一した病院を建てる案を以前から考えていました」とのこと。
3月27日
・朝9時に妻とともに丸岡を出発し穴水宿舎へ向かう。能越自動車道徳田大津インターまでは約2時間、そこから越の原インターまで30分。やはり、片側1車線の仮道路であり平均40km程度のスピード。12時前に宿舎到着し、破損物など箱に詰め、3時に閉門する廃棄場に4回向かう。何とか、宿舎の1階部分に寝る場所を確保した。
呼吸器診療の縮小
4月1日から私は穴水総合病院で診療業務を再開しました。半壊した宿舎の1階に寝床を確保しましたが、また、大地震が夜間に発生すれば、自分の死亡届がでるなと思う毎夜でした。病院の電源は発災後からすぐ使用できましたが、電話は1月下旬ごろに復旧し、上下水道などは4月3日に復旧しました。外科手術は4月下旬に再開しました。病院建物の1部の壁には亀裂が入り、一部トイレはまだ使用できず、5階の病室の一部屋にはまだ被災者家族が避難していました。駐車場の地面には亀裂がたくさん走り、利用区域が大きく制限されていました。建物周囲の水パイプ・下水管は破損し水が絶え間なく、勢いよく漏れだしていました。
珠洲市と能登町の公立2病院からは呼吸器専門外来を閉鎖したいと連絡あり、また、月1回の呼吸器診療再開を打診してきた輪島病院には呼吸器専門医の川﨑先生が活躍しているのでこちらから辞退しました。看護師(公立4病院では4月時点で約65名離職)などの医療スタッフが離職し、患者数も減少し、今後も帰ってくる住民数も不明で、各病院の経営は赤字必須となっており、重症患者は金沢などの高次機能病院に転送するパイプもできて、専門医の必要性は薄れてきていますので、私が、院長ならば同じ決断をしたでしょう。
4月末の時点で公立4病院の病床運用は4割未満です。上水道・道路などのインフラ復旧はもとより、病院機能の復旧も急務です。能登北部地区の医療再編は、全国の高齢過疎化地区での医療体制の好個のモデルとなるでしょう。人口流失が続いている能登北部地区での医療再建を急がなければ、住民の安心も担保できず、人口流出にますます拍車がかかるであろう。これまで、医師・看護師など医療関係者の確保に腐心してきたところに、今回の大震災が発生しました。
第9話 いよいよ診療再開です に続く