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センター長のささやき 第6話
第6話 まだまだ、切迫感の漂うメールのやり取りや災害関連ニュースです
被災患者の受け入れと被災地医療施設の対応をうかがい知るメール
1月9日
“石﨑武志 先生
穴水まで行かれたとの事で、ご無事に戻られて安心しました。
大変な時間がかかったと思われます。井口先生も能登のご実家で被災されて1日にそのまま金沢に車で戻ってこられたようですが、9時間かかったと伺いました。
大学は先週は能登方面への外勤は自粛でした。岩手の櫻井先生が感染対策チーム(DICT)で7日から本日まで来られています。睡眠学会からCPAPを能登に供給する件で高原先生が窓口になるようです。呼吸器内科にも毎日大勢の患者さんが転送されてくるのですが、夜間が多いようで、当直の先生は一睡もできないと聞きました。
私はただただ余震の心配ばかりしていますが、先生達は本当に大変で頭が下がります。
松柳ひとみ”
*井口先生は現金沢医科大呼吸器内科学主任教授、櫻井先生は元岩手医科大睡眠医療学科教授。感染制御のエキスパートで、第16話に言及します日本環境感染学会災害時感染制御検討委員会(DICT)の副委員長。
“石﨑武志先生
新年早々大変な状況となり、心配しながらも、なんてお声をかけて良いのやらと悩みながら本日に至り、お忙しくお疲れだろうとは思いますがメールした次第です。
日々のニュースでの情報や、2004年の新潟県中越地震時に、自衛隊員をしており震災支援をした時の状況が蘇り、心を痛めております。加賀市医療センターでも広域搬送により患者受け入れを行っており、後方として少しでも支援できればと頑張っております。
ご無理されている状況だとは思いますが、必要以上にご無理なさらずご自愛下さいますよう。
加賀市医療センター
HCU 軽海 文博”
*福井大学看護キャリアアップセンター「慢性呼吸器疾患看護認定看護師教育部門」卒業。第1期生。
2024年8月31日、七尾市、恵寿総合病院内での第7回いしかわCR-CN会の集まりの司会を担当された。日本看護協会が認定する「認定看護師制度」発足は1999年であるが、第20分野として新たに「慢性呼吸器疾患看護認定看護師」教育が2011年に認可された。
“加賀市医療センター
HCU
軽海 文博様、
こんにちは、能登北部呼吸器疾患センターの石崎です。お見舞いのメールありが
とうございます。被災地からの患者さん受け入れありがたいです。
自衛隊はほんとに力になってくれていますね。感謝です。災害時には、少し遅れて、
呼吸器感染症や津波肺炎など多発しやすいので、呼吸器疾患看護認定看護師としてどんな支援体制を構築できるかの機会ともなるでしょう。皆さんのグループで共通テーマを持って対応される方法など考えて見られてはいかがでしょうか? 大変な状況下、気を緩めないで、身体に気を付けてご活躍ください。 以上、ご報告申し上げます”
1月10日
“能登北部呼吸器疾患センター
石崎 先生御侍史
お世話になります。お忙しい中、ご連絡をいただき有難うございます。
毎日ニュースを拝見していて、心痛めております。
各県から支援に出向いているようですが、追いつかない状況と察します。
昨日、重森先生からもご連絡がありました。
石崎先生が(穴水に)戻られるのは心配なので、様子をみられてからにしたらどうかとのご意見でした。今はまだ、一般車両の通行が制限されており、ボランティアが手伝えるようになってから整備が進むように思います。何もお力になれず、本当に申し訳ございません。
1日も早く、ライフラインの復旧が進むようにと願っております。
石崎先生、無理のないようにされてください。
どうかよろしくお願い申し上げます。
福井大学医学部第三内科
事務担当 竹内和代”
*福井大第3内科呼吸器グループの秘書さんのひとり。実験と診療で大変お世話になった。
“名誉会員 石崎武志先生御侍史
ご連絡ありがとうございました。
保健・看護委員会での認定資格の立ち上げ、2016年に先生が主催された金沢での学会など、先生には大変にお世話になりました。
病院の状況含め、本当に大変ですね。余震も続いており、くれぐれもご自愛いただきますようお願い申し上げます。学会として貢献できることを模索し、東北の震災を経験したOBや、大学の災害医療教授にお聞きして情報収集しております。金沢大学の矢野聖二教授は留学先が同じラボで大変懇意にさせてもらっています。ライフラインの復旧と急性期の感染症が現時点では重要課題と思いますが、抗酸菌の治療継続など、私ができることがあれば何でもご連絡ください。
礒部 威(いそべ たけし)
島根大学医学部 内科学講座 呼吸器・臨床腫瘍学
日本結核・非結核性抗酸菌症学会 理事長”
まだまだ、多くの電話、SMS,LINE,メールによる安否確認と励ましの言葉をいただきました。全てをご紹介したいと当初は考えていましたが、涙を呑んで割愛いたします。ほんとうに、追懐の情にたえません。感謝です。
・午後穴水病院へ電話するもつながらず。公立宇出津病院の副院長と連絡できました。幸い、副院長宅は損壊しなかったとのこと。DMATと自衛隊の協力で入院者をヘリで金沢地区に移送しており、榮譽院長の小森先生にも白山市の自宅で待機してくださいと伝えてあるとのこと。輪島病院に電話するも事務局と会話できましたが、院長や川崎先生と連絡つかず、飛び回っているのであろう。政府が能登半島地震を激甚災害に指定しました。
この日以降、テレビ、新聞、インターネットなどで地震の被害状況が徐々に明らかになってきました。
以下、医療情報を中心に当時のメモを時系列的に紹介します。
2度目の穴水病院到達
1月14日
・午前0時1分、M4.4、七尾市志賀町震度3、穴水町輪島市、震度2の地震、午前7時42分、M3.0、七尾市、志賀町震度1.午前10時半過ぎ、航空自衛隊輪島分屯基地にヘリコプターで岸田首相が到着、自衛隊員・警察・消防激励、輪島市と珠洲市の避難所を視察された(病院の視察はなかった)。2次被災施設と仮設住宅建設の促進など誓う。馳知事らと金沢市で意見交換予定。安否不明者23人、死者数など変わらず、避難者数も変わらず。奥能登地区の11の酒蔵で日本酒作れず。DPAT(災害派遣精神医療チーム)も派遣されている。認知症の人の対応が困難、おむつ交換、静かな環境提供必要、夜間に大声をあげるので、周りが眠れない。そのため家族も疲弊。岸田首相は被災地生活再建へ新たに1000億円超の支出を決定した。14日午後2時現在、死者221人、災害関連死13人、安否不明者24人、孤立集落15地区、被災者は490人、今期一番の冷え込み。
1月18日
・AM9時00分、穴水病院院長とようやく電話連絡つながる。1月1日に当直していたので、地震を経験したが、元気で対応している。副院長の中橋先生がほとんどカバーしてくれている。病院外来は薬のみ処方している。他の病院もそうなので、2月いっぱいは福井で養生してくださいとのこと。
珠洲市総合病院、市立輪島病院も救急対応と薬の処方のみ、輪島の眼科は通常診療、ごちゃまるクリニックはオンライン診療、船木クリニックは薬の処方のみ、大和医院は発熱等対応、薬の処方など。宇出津総合病院は薬のみ受付。千間クリニック、橋本クリニック、持木メデイカルは、かかりつけ患者の薬処方のみ受け付け。兜診療所は当面休診。恵寿総合病院、公立能登総合病院、七尾市松原病院、独立行政法人病院機構国立七尾病院は通常診療。日本赤十字社は14日、珠洲市内で救護所を運営開始した。市内のかかりつけ医を受診できなくなった人が災害拠点病院の市総合病院を訪れて同院の医療資源がひっ迫するのを軽減するため。市立輪島病院では、働きながら育児もしているスタッフの負担軽減を図るべく院内に託児所を開設した。能越道の穴水と三井間が開通した。
1月22日
・災害関連死15人、死亡233人。明日から警報級の大雪予報あり。朝8時00分、高岡発能越道経由徳田大津インターチェンジまで順調にたどる。横田インターチェンジまでは高速道もいたるところ道路の断裂高まり路肩の崩れ、道路横の山崩れあり、時速40km弱で走る。横田から一般道に入りのろのろ運転、一般車両、自衛隊の災害救援車両、消防車、パトカー、救急車入り乱れて走行。特に、中島町から能登鹿島、穴水町入り口まで時速10km未満で走る。 午前11時00分、穴水着。ちょうど宿舎の屋根にブルーシートを張っていた。業者に聞くと、屋根瓦をきれいに張り直しすればまた住めるとのこと。玄関にはグリーンの張り紙、少し損傷があるけど住めるとのこと。中に入る。二階を初めて登る。鍵のかかっていた窓が開いている。天井からの雨漏りは少なくとも3か所。畳も濡れ、床も濡れていた。濡れていない衣類など持ち出す。1時半までその作業をして、病院に向かう。
駐車場にはDMATの車と自衛隊車両多数。自衛隊のテントもあり、給水車も来ている。相変わらず断水、5階にも避難者少し、2階の事務室にチョコレート持参、リハ部と採血室、外来にも持参し感謝される。内科で薬手帳みせ、内科医に泌尿器科の薬処方してもらった。テレビは時々映らなくなる。いまだに、通信状況は悪い。薬は1か月分しか出ない.自治医大出身の1宮内科医と外来で偶然会う。「1日宿舎にいたけど、やはり倒壊して大変でした。外傷患者がほとんどで内科医として無力感に襲われた」とのこと。3時に穴水を出発し、徳田大津インターチェンジまで国道249号線を走るがやはり時速40km走行である。4時16分、M3.2、能登町、志賀町ともに震度3の地震発生するも運転中で気づかず。4時13分分、徳田大津インターに入る。15時53分分に木田先生から安否確認の電話あり。4時34分能登さとやま海道白尾インター抜ける。4時44分、北陸自動車道森本インターに入る。5時42分丸岡の息子の家に到着。疲れた。昼食抜き。帰ってきて、一段落した。
DMAT事務局(東京)によると、能登半島地震で全国から累計で650隊、3千人以上のDMATが派遣された。22日時点で149隊が活動。珠洲市34隊、輪島市28隊、穴水町16隊、能都町14隊、七尾市14隊、金沢市12隊、県庁本部31隊。1週目は早急に治療が必要な重症患者や透析患者の病院搬送、2週目以降は、水や暖房のない劣悪な環境の福祉施設の入所者の避難・移送した。能登半島では多くの道路が土砂崩れなどで通行止めになり、一部道路に車両が集中し、渋滞で患者移送に想定以上の時間を要した。空路や海路もかぎられている。今後は避難先周辺での医療体制拡充がDMATの任務の中心になる。3週間ぶりにJR 西日本特急サンダーバード号が七尾駅まで到着した。
第7話 災害関連ニュースとメモの続きです に続く