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センター長のささやき 第2話

ページID:0105923 更新日:2025年4月22日更新 印刷ページ表示

第2話 能登北部呼吸器疾患センター設立経緯を紹介します

 2014年12月1日に約32年間奉職した福井大学を辞職して、新しく立ち上がった能登北部呼吸器疾患センターに12月2日から勤め始めました。木田厚瑞先生(現臨床呼吸器疾患研究所呼吸ケアクリニック東京理事長)が石川県ふるさと医療大使(ふるさと医療大使については後述する)となられ、能登半島の医療体制についてもそれ以前に側聞していました。定年前のある日、石川県健康福祉部長の木村氏が福井大の私の部屋に訪ねてこられました。「能登北部地区の公的4病院(併せて617床)には常勤呼吸器内科医が不在で、てこ入れをしてくれませんか」と強く要望されました。

 その前のある日、慢性呼吸器疾患認定看護師さん教育課程への募集案内(2010年度に福井大学大学院医学系研究科附属看護キャリアアップセンターを開設して2011年度から全国に先駆けて「慢性呼吸器疾患看護認定看護師」教育課程を開講しました。)を兼ねて石川県庁を福井大学医学部看護学科教授長谷川智子氏とともに訪問する機会がありました。当時の健康福祉部木村次長をはじめ職員の対応の良さと、その後の慢性呼吸器疾患看護認定看護師(以下CR-CNと略)支援の前向きな姿勢(認定看護教育課程に進学した場合費用を援助する制度を新設。石川県認定看護師育成支援事業費補助金交付要綱 平成22年7月1日施行)が強く印象に残っていたことも伏線にありました。退職間際に、福井県嶺南地方の某公的基幹病院の院長に就いてほしいとの申し出もありました。福井大学時代にお世話になったY先生からの誘いで、一瞬、気持ちが揺らぎましたが、いまさら、院長になって苦労するのも気が重いと考え、丁重にお断りしました。また、福井大学第3内科に呼吸器病学専攻の石塚全教授が赴任されて、後顧の憂いも無くなったことも福井を離れる決心を後押ししました。長年、親しく接した人々から離れることはとても寂しいことではありましたがーーー。

 上記呼吸器疾患センターを設置していただいた公立穴水総合病院内には、すでに、金沢医科大学能登北部地域医療研究所が併設されていて、全国から地域医療に関心のある医学生・研修医を受け入れていました。私は、穴水病院に属し、この研究所にも属し、金沢医科大呼吸器内科にも属すという旧国立大学では思いもよらぬ多重の肩書き付きになりました。

 呼吸器疾患センターの目的はというと能登北部医療圏の公的病院、公立穴水総合病院、珠洲市総合病院、市立輪島病院の3病院、そして、公立宇出津総合病院(公立宇出津総合病院へは元金沢医科大呼吸器内科教授の大谷信夫先生が泊りがけで外来診療をしておられたので恐れ多いと遠慮しました。結局、大谷先生が亡くなられた後、2022年4月から診療に赴きましたが)への呼吸器診療支援、研修医指導、医療スタッフの啓発事業を展開して、地域で呼吸器疾患に強い医療人を育てることと、同時に、呼吸器疾患の診断の遅れと適切な治療開始の遅れをなくし、さらに、能登北部在住の患者さんがわざわざ、金沢近郊の高次機能病院まで受診するという時間と経済的な不利益を被らないようにといった欲張り限りないものです。いわば、移動する呼吸器疾患センターをイメージしていました。さりながら、大学時代の繁忙生活(看護学科教授としての職務、看護キャリアアップセンター長の職務、附属病院呼吸器内科診療科長としての病棟回診、外来診療、カンファレンス、そして医学部附属図書館長としての職務など兼任)の記憶を払拭すべく、能登の自然と能登ワイン(後日、能登ワイン本社内のワインセラーをキープすることができた)、魚釣りを楽しみながら呼吸器センターの目的が未完成になっても、それはそれでたどり着けるところまで行こうと思いました。

第3話 能登北部呼吸器疾患センターの活動開始です に続く