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センター長のささやき 第1話
第1話 プロローグ
能登半島の2024年は1月1日の大地震と津波ではじまり、9月21日の大雨洪水被害を経験し、11月26日の大地震で閉じた。道路、通信、電気、水道などのインフラは壊滅的被害を受け、2025年に入っても一部では水道がいまだ回復せず、避難生活を余儀なくされている人たちがいるし、今も倒壊家屋の解体(申請39235棟のうち22123棟が未施工 2025年2月6日現在)を待ち望んでいる人たちもいる。正に能登半島は陸の孤島であった。電源の途絶によって酸素機器使用者である、在宅酸素(HOT)患者や在宅人工呼吸器利用者、そして在宅持続陽圧呼吸器(CPAP)利用者が電源と酸素を求めて病院に押し寄せた。前2者は「酸素難民」と化した。それまで、奥能登のHOT患者総数を医療関係者は誰も把握していなかった。在宅酸素機器メーカー間相互の患者情報交換は個人情報の壁で不可能であった。そして、堅牢な建物が少ない能登地区では病院に避難民も押し寄せてきて(とはいえ、病院建物も医療機器も一部損壊したが)、自身も被害者である病院医療関係者が休む暇なく対応せざるを得ない状況となった。道路・建物・上下水道・通信・電源などのインフラ被害状況と復旧過程はテレビ・新聞などマスコミで大きく取り上げられて世間の注目を集めた。また、新聞社の特別報道写真集や緊急出版はまざまざと悲惨さを思い出させる優れた報道(写真)集であるが、医療機関の被災状況や対応についての言及は皆無である。
が、1年過ぎても、復旧がはかどらないのに被災地以外の人々の関心は薄れつつある感じがしている。まして、悪戦苦闘した当地の病院医療関係者の労苦と被災地からの入院患者や重症者を快く受け入れてくれた石川県内外の病院施設の支えもなかなか大きく取り上げられない。2007年の能登半島地震を経験した石川県が次に起こりうる災害時の対応を低く見積もり、積極的に対応策を講じてこなかったという負の側面もあると言わざるを得ない。そして、地震発災から1年を過ぎても奥能登地区の医療再生ロードマップを石川県は決定できていない(2025年1月の時点で)。もともと医療人材の乏しい奥能登でいまさら病院機能強化をうたっても実行できないし、人口流出に歯止めもかかってない状況では、従来型の発想では解決できない課題であろう。しかし、一部で報告されている費用対効果の観点からの(医療)投資の無駄という主張は、国民すべてに均等で均質な医療を提供するという基本的理念を無視するものであろう。被災者もまた同じ日本国民である。打ちのめされ深遠な悲しみの淵に彷徨う人々に贈る提言であるはずがない。さらに、復興の効率面から新天地への集団移転を進める意見もある。先祖代々住み慣れた能登の土地や自然への愛着の強い思い、「能登はやさしや土までも」を無視しているとしか思えない。ふるさとを離れた人々も病院機能の復活なくしては、安心して帰って来られない。今後、被害を受けた市町の自治体や公立病院は災害マニュアルを改定するであろう。
しかしながら、マニュアルでは表せない当時の生々しい記憶が個々人には残っている。本書は自ら被害を受けながらも地震と津波そして豪雨災害で押し寄せた住民や患者に懸命に対応した医療関係者の対応を時間の中に風化させてはいけないと思い、記録を能登の歴史の一つとして残すべく、当地の病院に勤務してきた「いち呼吸器内科医」と奥能登地域医療の要である公立4病院の身近な関係者の体験と見聞とをもとに企画した。その思いの発端は第12話に後述する2024年8月31日に七尾市の薫仙会恵寿総合病院内で開催された第7回いしかわCR-CN(慢性呼吸器疾患看護認定看護師)症例検討会に参加し、能登半島地震においての恵寿総合病院の状況や在宅酸素患者への対応、酸素機器メーカーの対応(当地の酸素機器メーカー担当者の迅速で懸命な対応も忘れてはならない)、そして、災害時の認定看護師の活動などを討論したことにあった。
本小論を能登半島地震と豪雨洪水被害者、災害関連死の方々にささげます。
そして、日夜奮闘している能登地区の医療関係者すべての人々にささげます。